会場風景
展示作品
紹介
PRISMオフィシャルカメラマン、福島志朗が2016年から2018年の間に撮影したギタリスト和田アキラのライブ写真展
第二次世界大戦中にナチス・ドイツが作った強制収容所を巡る「私的な旅」と、当時、多くのユダヤ人等ナチスの犠牲になった人々がドイツ各地の強制収容所より最終目的地であるアウシュビッツへたどった「死への旅」をオーバーラップさせた作品展示。
1933年にナチスが政権を取りドイツ国内に最初に作ったダッハウ強制収容所(ミュンヘン)、強制労働を強いられたノイエンガンメ強制収容所(ハンブルク)、アンネの日記著者であるアンネ・フランクと姉の最後の地であるベルゲン・ベルゼン強制収容所(ツェレ)、生体実験室が現存したザクセンハウゼン強制収容所(ベルリン)、ドイツ国内に存在した4カ所の強制収容所を訪れ、そして、ベルリン郊外にあり、国内外各地の強制収容所へ向けてユダヤ人等の囚人を移送する為の貨物列車専用ホームであったベルリン・グルーネヴァルト駅17番線のメモリアルプレートをこの旅の起点とし、当時ナチスに占領されていたポーランドへ。
一日に1000体もの遺体を焼却出来る施設が当時のまま保存されているマイダネク強制収容所(ルブリン)、ヨーロッパ各地から集められたユダヤ人等囚人達の終着であり、ガス室が存在したアウシュビッツ/ビルケナウ強制収容所(オシフィエンチム)。第二次大戦当時、終着駅アウシュビッツへの「死への旅」とそれをなぞるように、現在を生きる私がドイツからポーランドを旅し撮影した作品をゼラチンシルバープリントで制作しました。
微力ですが、少しでも多くの人に、人類史上最悪の負の遺産であるホロコーストの存在とアウシュビッツビルケナウ博物館の現在を認識して欲しく、今回の展示を計画しております。よろしくお願いいたします。
この作品のテーマは「人物( ポートレート)」です。
なぜ、人物なのかと言うと自分は、普段はスナップ写真を撮っているんですけど、今年の展示で5 回目という事もあって特別感を出そうと思いポートレート写真を選びました。
じゃあ、なぜギャラリーを巡って作家さんを撮ったのかというと。町中で人に声かけるのが苦手なのとモデルさんになってくれる知り合いもいないからです。
でも、自分の性格上、作家さんにも声かけるのが苦手なんですけどギャラリーに行くと声をかけてくる作家さんばかりだったのでありがたかったです。
まだまだ、コロナ禍の真っ只中で撮影しましたが撮影した作家さん、撮影出来なかった作家さん、含めてみんな明るく楽しそうにしていました。
自分も楽しみたいと思います。
ゆっくり見て行ってください。
大島 正光 Oshima Masamiths
1987 埼玉県生まれ
2017 専門学校東京ビジュアルアーツ写真学科写真作家専攻卒業及び専門士取得
2017 「俺の食」 ギャラリー七面坂途中 日暮里(東京)
2018 「都幾川」 弘重ギャラリー 恵比寿(東京)
2019 「11 時」 弘重ギャラリー 恵比寿(東京)
2020 「華麗(カレー)なる自粛時間」ぎゃらりーKnulp(クヌルプ) 日暮里(東京)
沢山のご来場ありがとうございます。
11月23日から開催しております、桑本正士写真展「幻植物園」
本日、来場者100名超えました。
ありがとうございます。
12月1日まで引き続き、よろしくお願いいたします。
1947(昭和22)年川崎に生まれる。
5歳頃、東京の神田五軒町へ移転。
幼少期を過ごす。
14歳で藤沢へ移転。
茅ヶ崎高校に入学し、思春期を海辺で過ごす。
高校卒業後、東京工芸専門学校の印刷科に入学、同科卒業後、写真工芸科に再入学、写真の技術を学ぶ。
卒業後は、商業誌でカメラマンとしての活動を開始。
1975年頃より、はちみつぱいのライブに同行、はちみつぱいのメンバーや、その周辺のミュージシャンを撮り始める。
その後、「ヤングギター」、「CROSSBEAT」、「宝島」、「ミュージックライフ」、「ジャム」、「ラティーナ」等の音楽誌で国内外のミュージシャンを数多く撮影。
国内では、細野晴臣、シュガーベイブ、ムーンライダーズ、大瀧詠一、忌野清志郎、高田渡、友部正人等のポートレート、沖縄音楽のアカバナーレーベルのジャケットで、知名定男、嘉手刈林昌、大工哲弘等のジャケットやポートレートを手掛けた。
海外では、セルジュ・ゲンズブール、ジェーン・バーキン、ブリジット・フォンティーヌ、ジャン・マレー、アストル・ピアソラ、カート・コバーン、フランク・ザッパ等数々のアーティストを撮影。
1979年には、かつて南青山にあった洋楽レコード店、パイドハイパーハウスの長門芳郎と共に渡米。
ナッシュビル、ウッドストック、ニューヨークなどを周遊し、ラリー・ジョン・マクナリー、エリック・アンダーソン、ドクター・ジョン、トム・ウェイツ等のミュージシャンたちを訪ねて写真に収めた。
その当時の旅の記録は、2016年、青山のビリケンギャラリーにて桑本正士写真展「ミュージシャンと風景」として発表され、さらに2018年より「レコード・コレクターズ」誌上で、桑本正士アーカイヴスの岡田崇の協力のもと、長門により、「桑本正士が写した音楽と記憶の風景」として連載されている。
1992年からは、山崎幹夫監督の映画「プ」で知り合った、セメントミキサーズの鈴木常吉、彫刻家の上野茂都と共に音楽ユニット「つれれこ社中」を結成、“桑畑繭太郎”名義でマンドリンと打楽器を担当し、1997年には、オフノートレーベルよりCD「雲」をリリース。
2016年11月26日、食道癌で死去。享年69歳。